井上十吉という人物
井上十吉は、9歳の留学生としてイートン・カレッジ、ハロウ・スクールと共に英国三大パブリック・スクールの一つとして有名なラグビー・スクールに入学しました。
後の英国政治家のオースチン・チェンバレンはこの時の級友でした。
ラグビー・スクールにおける十吉の成績はすばらしく、各科目の点数は平均98点で、そのために同級生からねたまれ、ふとんむしにあい、年長の桜井錠ニに助けられたこともあったそうです。
毎年優等生に与えられる校長署名入りの書籍を受け、数学においては特に頭角をあらわし、奨学金を与えられていました。
この奨学金を受けたのは日本人では菊池大麓と井上十吉のみであったと言われています。
当時の十吉の勉強ぶりは、後の彼の代表的著作の一つである『井上和英大辞典』(大正10年)の序文にある次のラテン語辞典の暗記を企てた一節からも、十分に想像することができます。
平田禿木もその御長女竹沢啓一郎夫人の回想によれば、
「父は常にイギリス時代はよかった。あのような生活は日本では残念ながらできない」
・・・と歎息していたそうです。
アングロサクソン文明の絶頂期のイギリスにおいてその生涯におけるもっとも人間形成の時代をすごした井上十吉にとっては、この同僚間の盗難事件はとうてい堪えることのできない大きなショックであったにちがいないでしょう。
とにかく、石川遼 英語などなかった時代に、井上十吉が鉱山技師を断念したことは日本の英学にとっては大きな利益でした。
「同氏が若し鉱山技師として一生を送ったならば、それこそ其の得意の英文を充分に発揮する機会も無かったであろう」
・・・と磯辺弥一郎も言っています。